海藻は哲学をする

迷わないで生きられるのなら、幸せの方が目立つよね。

私の人生は私のものなのだろうか?

 やる気があるのでもう少し書きます。

 

端的に言ってしまえば、自分の裁量で決定出来る物。

が私のもので、そうでないものは私のものではありません。

 

であり。ではない。と言うトートロジー的な所に落ち着きます。

私自身の意識と私が存在する社会の2つの軸を持たなければこれは論じられません。

 

 

その時に私のもので無いもので悩んだり、迷ったりするのは辞めましょう。

 

なので、もっと良くする為に努力してるんだよね。

これが一番正しいです。

形而上学的な事は書きません。

 平たく言うと神について論じる事です。そういうのを形而上学と言います。

会った事が無いので会った事が無い人の噂話を喋ってもしょうがないと思うんですよ。

それどころか私は神の生まれ変わりだとか、神はこう言ったとか、お前それどこソースよ。ってツッコミ入れましょう。

 

もし神について語るなら誰もが持ってる良心から推し量るべき問題だ。

と言うのが個人的な意見です。

 

だからこそ人は神の子なのかもしれません。

 

私見ですが、宗教を信仰してる人で悪い人は見たことがありません。

それを使って悪さをしてる人が本当の悪です。

哲学のルール

これを知って良かったなあと思う事を書いておきます。

 

無知の知

wikiより引用

 

無知であるということを知っているという時点で、相手より優れていると考えること。また同時に真の知への探求は、まず自分が無知であることを知ることから始まるということ。哲学者ソクラテスの言葉、概念。

 

応用

ジャイアンツ最高だよね、野球知らんけど。×

野球を知らないんですが、その事について教えて下さい。○

 

問題なのが、自分がそれを本当に知ってるかどうかが問題です。

もしかしたら私はそれを本当には知らないにも関わらず、知ってると思い込んでいるのではないか?

と言う疑念を持っていると良いと思います。

 

 

続きまして、

定義がしっかりしている事

 

何かを話す時に赤と言っただけでも人はこう連想します。

赤信号の赤 チューリップの赤 血液の赤

 

なのでその言葉のそれだけでも人は多様に発想する事が出来ます。

その時に必要なのが定義です。

 

つまり 赤信号の赤について話たい時は 「赤信号」

と言う言葉で目標を決める必要があります。

 

続きまして、

真であるか。または偽であるか。

 

右利きでえんぴつを右で持ちます は 真です

右利きでえんぴつを左に持ちます は 偽です

左利きでえんぴつを左に持ちます は 真です

 

例えば、一億円を持っています。その人は金持ちです。ですが借金が7億ありました。

これは偽です

 

続きまして(だいぶ多い)

正しくない事は論じられない。

誰がどう見ても正しい事を書きます。

 

1+1=2

 

誰が見ても正しくない事を書きます。

 

1+X=2 (この時Xは1のみではないとする)

 

なので、その考えが正しく簡潔に導き出されないと言う事は、

その考え方のどこかに間違いがある。

 

と言う事になります。

 

もしかしたらそれ以外に考え方があるかもしれませんが、

私はこれを使っています。必須の方法があったら知りたいです。

マスメディアにあんまり影響されないようにしよう。

 キラキラしてる、とか、成功者のステータスとか。

良いですよね。

 

けど、それって本当にシンプルに幸せなのか??

って言うかそれを見てそもそも不快になってないか?

実はそれを見ることでその人と自分を比較してそれを見た後に不快になってないか?

 

言い切ってやったら良いんですよ。自分の出来る事はちゃんとやっとるわやかましいわ。それ自慢したいだけだろwwww

って言い切ったら良いんですよ。情報ソースとしては確かに見ないと分からない物はあると思いますが、自分にとって有用でない知識を得てそれで不幸になるって言うのはそもそも本末転倒です。

 

知識デブとでも言えばいいんでしょうか。

そんな風に不満を増やす為に時間を使うなら、じゃんけんでもやった方がまだマシですよね。

真理とは何か?

 ありますが、めちゃくちゃ地味です。

って言うか一般的には逆転ホームランを打てる人生の超攻略法みたいに書かれてますが、それは真理ではないです。それは資本を手っ取り早く集めよ。が攻略法ではないでしょうか。

 

そこで書きますが、真理とは普通です。その普通を如何に良く解釈する事が出来るか?それが真理です。

色即是空とは物事をどう思うかはその人の考え方です。で、

悟りとはどう見てもこれはこうだよね。です。

 

で、その二つを兼ね揃えたものを仮に真理と定義します。

 

勉強をします、仕事をします。(書いてて耳が痛いです)

 

こう思いました。すんげえだりいめんどくせえ。

それと

後何日頑張ったら○○が買える、何日やったら休みだ。

 

どちらの方が幸福でしょうか?後者ですよね。

そういう事を感じる自分に対して更新する事が大事なのかなあと思います。

 

汝、汝自身を知れ。と言う言葉がありますが、まさにそういう意味合いではないだろうか。と言う風に私は思います。

哲学の効用について。

私は私が思い込んでいる程、無価値な人間ではない。

それを論理的に認める為に使うと良いと思います。

 

そういう使い方があるので、哲学は一不幸なための物だ。とも言われます。

ですが、その先にそれなりにでも幸福があったならそれでいいじゃないですか。

 

 

私はダメなのだろうか?

 そんな事はありません。

 

何故なら、知ってる量が少ないから知り方が分からないだけです。

なので分かることが出来ない。と言う話です。

 

人はわりとこう考えがちです。

私はダメだから何をやってもしょうがない。

 

実際は違います。

私は物の考え方が分からないから、それを解く方法を知らない。

だけれども。と続いてもおかしくない筈です。

 

ここで文化資本と言う言葉を出します。

文化資本とは、その人の頭の中にある本棚を指します。

その数量が多ければ多いほど沢山の考え方を知ってるよね?

となります。ので、それを足すことが出来れば遠回りをしても結果的に芯を捉える事は不可能ではない。

 

となるはずです。