海藻は哲学をする

迷わないで生きられるのなら、幸せの方が目立つよね。

続哲学用語辞典買いました

この書き方一回やってみたかったのでやります。

 

読了。時代が違うのに同じような内容の哲学の解釈が多く、

本来人間が思考出来る物事にはそれほどの差異はない。

 

ただ、そこに時代や技術という表面的な違いがあるだけで、

本当の中身は実はそんなに違いが無い。

 

東洋思想と西洋哲学に同じ匂いを感じるとは思わなかった。

オールオアナッシングについて

 ちょっと疑念程度なのでささっと書きます。

これを何でも正しいです。にするのはおかしいでしょ。

 

もしかしたら成立要件もあるのかもしれないけど。

犯罪や嘘のメディアとか信用出来ない物とかをオールオアナッシングで考えないのはおかしいかと。

 

だからもっと限定的にどこどこに対して。

例えば人の個性に対してオールオアナッシングは良くないです。は分かる。

それを拡大解釈して全てに対してオールオアナッシングは納得しない。

仕事の会議でもオールオアナッシングは成立しませんもおかしい。

 

と言う訳で、規定されるべきものとされるべきものでない物の2つがそこで出てくる。

 

これ以上考え始めるとめんどくさいのでここまでにします。

脳の勘違い

全ての物は概念として別なのに、それを一つの物として混同する。

例えば男性のAさんとBさんを同じ男性として一括りにするかそれとも。

たったそれだけなのにたったそれだけが実は分類出来ない。

 

 

だから人の認識は誤認の可能性を多分に孕む

人間の病

普通に気付かない普通なんて言う言葉があるなあと。

書いてて思いました。

 

人間は基本的に自分の認知に対してそれを強固にするような認識をする生き物です。

なので東京に行ったら私もキラキラしてる!っていうのは若い時なら皆誰しも持ってるかと思います。(例外があったら偏見です)

 

そしてその場所に馴染む様に服を買ったり、生活のスタイルを変えたり。

所がどうでしょう。成功してる人とはまた人生が別です。

口座の給料があんまし残ってないぞと。

 

こりゃ一体どういう事なんだろうと思ったのですが、まあ言わなくてもですよね。

説教臭かったので寝ます。

そう考えると

世の中にあるのは所詮イドラばかりではないのか?

そしてそのイドラに扇動されてるだけで、本当はもっと普通で当たり前ばっかりじゃないのか?

 

イドラとは権威や意図によって本質から物事を脱線させた物事を指します。

例えば、家を買います。年利3%ですごく安い!!(単価3000万)

35年ローンで買いました。結論=6000万

二倍ですよ二倍。(計算が適当です)

確か3000×年数×%+3000でこの位の数字です。

 

世の中にあるのは嘘っぱちの情報ばかりだから、人生で本当の事が見抜けなくなるのではないか。恐らくそういう事ではないかと思います。

 

それを普通に気付いて分かっていれば何も悩んだり苦しんだりする必要はありません。

その時の自分とのギャップなんて1ミリもないですからね。

 

でもそこに噛んでる嘘の情報がその人に対して、事実と虚構との区別が付かなくなる。

それの区別が付かなくなるからこそ悩みは発生するのではないか?

 

結果病んだりなんだりするのがそれの本当の所じゃないですかね。

 

そもそもCMと言うのは編集というのは、

物事の良い面だけを抜き取りそれの悪い面を見せない為にするものです。

もしそこで悪い面も見えていればそんな事はしないだろう。

 

と言う物が多分にあるだろうと言うのも想像が付きます。

本来はカンタンなんです。誰かが面白くする為にした編集によって、

私たちの意志は常に捻じ曲げられている。

読んでからの考察

thinkagain.hatenadiary.jp

 

読ませて頂きました。

すごい共感。

 

最近物凄い勢いで本を読んでるんですけど、(それまで全然読んでなかったので)

一つ質問。

こんだけ読んで人生なんか変わるの??

自己満足だよねと言われるとそうなんですよね。

 

景気動向のグラフを見てると豊かさの指標での問題点があるのではないか?

と言う風に思います。

 

100円のお小遣いで80円のジュースと

100円のお小遣いで100円のジュースではそりゃあ生活のしやすさって違いますもんね。

 

そういう物が指数的に出てきた結果だろうなあと思います。

 

そもそもツイッター等で死にたくなるというのは大本についていい加減突っ込みいれます。

 

日本の就職=学校卒業と同時

ですよね。

で更にこれに内在する問題。

 

文化資本の格差の拡大がその結果に直結している。

文化資本とは情報量です。学んだ数量の格差です。

 

頭の中に学校だけで学んだ知識があるAさん

頭の中に家族からも学んだ知識があるBさん

 

果たしてどちらが生きる上で優位なのかと問えば、

断然Bさんにならないのはおかしいです。

 

確かにやりたい事をやりなさい。とかそういう風なのは良いです。

とても全うです。

 

がです。一つ問いたいのですが、甲子園で優勝しなかったチームや、

将棋で何年もやって来た人の人生って。その後に潰しが効くのでしょうか。

 

つまりは夢を持てと言いますが、その半面で夢を持つことはその人の自己責任と言う言葉の中にあてはめられて終わりだ。と言う社会的なジレンマが発生します。

 

勿論夢は悪くないです。

 

と言うよりもむしろ夢に賭けた時の後の人生を持ってして夢は語られるべきであるかと個人的には思います。

そもそもこのデータが夢を持つなと言ってるような物ですよね。皮肉ですが。

 

手っ取り早いのは経済政策なんとかしてください。

が本筋です。

 

基本的人権と言うものはあまりにも広範になりすぎて、

人を不自由にさせると言う意義があるように個人的には思っています。

平均論よりも平等論が必要なんじゃないかなあと思います。

 

いずれにせよどちらかだと思いますが、資本主義である以上、

経済をなんとかしてください。いやほんとうに。

 

昔は景気が良かったから文化資本が少なくても良かった。

文化資本の少ない団塊世代が親になった。

その後に残ったのはその時の弱者の子孫世代。

と言うとそれなりに説明がつきます。

そしてそれが問題にならなかったのは経済が良かったからそれについて言及する必要がなかった。